店舗運営における差別化と模倣:店舗運営の基礎知識4

店舗運営の基礎知識

更新日:2022年3月1日(初回投稿)
著者:中京大学 総合政策学部 総合政策学科 教授 坂田 隆文

前回は、店舗運営における事業システムについて解説しました。さて、店舗運営において最も大切なことは、他店と差別化を行うことです。ところが、いくら差別化を行っても、それがうまくいっていると知るや、競合店はその手段を真似ようとします。いわば差別化と模倣という相反する動きが、店舗運営の中で同時に進んでいくのです。流通論においては、このような差別化と模倣の関係を理論的に説明する概念があります。そこで今回は、業種と業態という概念を通し、店舗運営における差別化と模倣の関係を現実に照らして考えてみましょう。

1. 小売業の歴史

歴史上、最も古い小売業はと問われれば、史料で確認することはできなくとも、行商人であると推察できます。肩に天秤(びん)棒と呼ばれる棒を担いで魚や貝類などを売り歩く姿は、時代劇がお好きな方ならば見たこともあるでしょう。海産物や野菜などを採って、道行く人や家々に売って歩く。非常に原始的な小売業の姿であるといえます。その次に現れたのは、おそらく路面店でしょう。茣蓙(ござ)を敷いて商品を並べ、店じまいをする時には一式を持ち帰る。これも原始的な小売業の姿かもしれません(図1)。

図1:天秤棒を担ぐ行商人と路面店

図1:天秤棒を担ぐ行商人と路面店

このような原始的な小売業では、まだ店舗といえるほどのものは存在していません。そこから徐々に小売業者が店を構えるようになり、今でいう魚屋や八百屋、服屋(呉服屋)、酒屋といった店舗が生まれ始めます。しかし、これらの店舗はまだまだ前回で紹介した事業システムといえるほどの仕組みを持っておらず、問屋から仕入れて来店客に売るという原始的な事業を営んでいました。元来、日本では小売業よりも問屋の方が力を持っており、「そうは問屋が卸さない」という慣用句があるほどです。問屋、すなわち卸売業者が存在しなければ、小売業者が商売を行うこともできなかったのです。

事業システムといえるものを日本で初めて導入したのは、日本で最初の大規模小売業者とも呼ばれる百貨店です(図2)。その誕生は1905年、現在の三越が新聞で「デパートメントストア宣言」という広告を出したのが始まりといわれています。それまで呉服屋だった三越が、「これからは品数を増やして、海外で広まっているデパートになります」と宣言したのです。

では、なぜ百貨店をデパート、つまり「デパートメント(日本語で領域とか部門といった意味)ストア」と呼ぶのでしょうか。それは、当時の小売業者は、規模が拡大すると暖簾(のれん)分けというかたちで店舗を異にするのが一般的だったのに対し、デパートは複数の部門にまたがった大規模な店舗を構えていたからです(もちろん、その背後には事業システムが存在します)。このため複数の部門を運営している店という意味合いで、デパートという名称が使われました。それを日本語で百貨店というのは、消費者の立場に立った時に、「百(「たくさん」という意味)」「貨(「宝物」というニュアンス)」を扱う店、という意味合いがあるためです。

図2:明治時代の三越百貨店(引用:ウィキペディア)width=

図2:明治時代の三越百貨店(引用:ウィキペディア)

百貨店の次に誕生したのは、スーパーです。スーパーマーケット、直訳すると超市場ですね。当時一般的だった市場(「しじょう」ではなく「いちば」)の特別版という意味合いを持って名付けられたスーパーが、1950年代に次々と誕生しました。スーパーは、日本で初めてセルフサービス方式やチェーン展開といった仕組みを導入し、1972年にはダイエー(当時)が三越を抜いて小売業売上高第1位になるほどの成長を遂げました。

その次に誕生・成長したのが、コンビニエンス・ストアです。1973年頃、イトーヨーカ堂や西友、ダイエー、ユニー、イオンといった当時代表的だったスーパーが、子会社として次々にコンビニエンス・ストアを運営するようになりました。その後、均一価格店やドラッグストア、総合ディスカウントストア、家電量販店といった小売業者が続々と誕生し、消費者の買い物が便利になっていったことは周知のとおりです。

2. 業種と業態

続きは、保管用PDFに掲載中。ぜひ、下記よりダウンロードして、ご覧ください。

3. 店舗運営における差別化と模倣

続きは、保管用PDFに掲載中。ぜひ、下記よりダウンロードして、ご覧ください。