気象学とは:気象学の基礎知識1

気象学の基礎知識

更新日:2023年4月5日(初回投稿)
著者:気象予報士 中島 俊夫

最近の天気予報では、線状降水帯、猛暑、ゲリラ雷雨やJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)のように、数年前まで身近ではなかったような用語を頻繁に見聞きするようになりました。それだけ、近年では気象災害が増加しているということです。気象災害から身を守るために大切なのは、まず気象に興味を持つことです。本連載では、6回にわたり気象学について解説します。

1. 気象学とは

気象学(meteorology)とは、いったいどのような学問でしょうか。気象学を学ぶ人のバイブル、小倉義光氏の名著「一般気象学」の序章の1ページ目には「大気中に起こる現象を扱う自然科学の一分野」と書かれており、気象とその仕組みを研究する学問のことです。また、ここでいう気象とは、雨や風、雪など、大気中で起こる現象の総称です。この気象学には、気象の基本的な原理を解明して新しい知識を発見するための基礎研究の部分と、そこでの発見を利用して実用化を目指す応用研究の部分が重なり合っていることが多く、奥の深い学問であるともいえます。

その一方で、学問としてはとても入りやすい一面も持っています。例えば、小学生の夏休みの自由研究で、新聞などに掲載されている天気図や雲画像を切り取って毎日並べたり、学校の校庭などに設置されている、百葉箱と呼ばれる白い木の箱(図1)の中の気温計や湿度計から気象要素を観測し、日々の天気の変化を調べたりすることも、実は立派な気象学なのです。

図1:東京都杉並区高円寺に鎮座する気象神社(氷川神社)境内の百葉箱(著者撮影)
図1:東京都杉並区高円寺に鎮座する気象神社(氷川神社)境内の百葉箱(著者撮影)

2. 気象学の始まり

気象は、古くから日々の生活との関わりが深いため、気象学の歴史は、古代文明の時代から続いています。中でも、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの著書である「気象論」は有名です。ただ、この頃の気象学とは、「夕焼けの翌日は晴れ」のように天候のパターンを見つけることで天気を予測する、といったものでした。このように、空の様子などを観察して、その因果関係を導く予測の方法を観天望気(かんてんぼうき)といいます。この観天望気は、日本でも「ツバメが低く飛ぶと雨」「猫が顔を洗うと雨」のように、各地で天気のことわざとして多く残っており、これを天気俚諺(てんきりげん)といいます(図2)。これらの中には、科学的にきちんと根拠が示されたものもある一方で、迷信も少なくありません。

図2:天気俚諺
図2:天気俚諺

科学的な気象観測が始まったのは17世紀に入ってからで、気圧計や気温計のような気象測器が発明、実用化されてからになります。ここから、近代気象学も発達し始めます。日本で初めて天気予報が発表されたのは、明治17年(1884年)6月1日です(図3)。最初の天気予報は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」という全国の予想を、一つの文で表現するという簡単なものでした。このときの予報は、東京の交番(派出所)などに掲示、発表されました。今の天気予報は、周知のように地域も時間も細分化されています。

図3:日本初の天気予報発表時の天気図と観測原簿(明治17年6月1日6時)(引用:気象庁ウェブサイト)
図3:日本初の天気予報発表時の天気図と観測原簿(明治17年6月1日6時)(引用:気象庁ウェブサイト

3. 観測から学ぶ歴史的事件

気象学の発展にはさまざまな要因があります。このため、一つに特定することは難しいものの、大きな要因としては観測網の発達が挙げられます。天気予報などで、アメダス(AMeDAS)という言葉を耳にしたことがあるでしょう。これはAutomated Meteorological Data Acquisition Systemの略で、正式名称は、地域気象観測システムといいます。簡単にいうと、自動で気象要素を観測するシステム(図4)のことで、その要素には、降水量、風(風向・風速)、気温、湿度があり、豪雪地帯では積雪も測定しています。

図4:アメダス観測の例(引用:気象庁ウェブサイト)
図4:アメダス観測の例(引用:気象庁ウェブサイト

降水量を観測しているアメダスは、日本全国に約1,300か所(約17km間隔)あり、気象状況を時間的、地域的に細かく監視し、気象災害の防止・軽減に重要な役割を果たしています(図5)。

図5:アメダス(地域気象観測システム)観測網、令和5年1月1日現在(引用:気象庁ウェブサイト)
図5:アメダス(地域気象観測システム)観測網、令和5年1月1日現在(引用:気象庁ウェブサイト

このように、現在は観測地点も増え自動で観測をすることができます。ただ、昔は観測地点もかなり少なく、また、その記録は全て人の手によるものでした。日本で初めての観測所は、北海道の函館気候測量所(現:函館地方気象台)で、ここでは明治5年(1872年)から気象観測を開始しています。現在(2023年2月末時点)の日最高気温の記録は、静岡県浜松市(2020年8月17日)と埼玉県熊谷市(2018年7月23日)で観測された41.1℃です(気象庁、歴代全国ランキング)。日最高気温が35℃以上の日を猛暑日と呼び、最近の夏は「暑さ」という新しい災害が増加しています。

しかし、それよりもずっと高い、46.3℃というとんでもない気温が、今から100年前の東京で観測されていました。それは大正12年(1923年)9月2日の未明(0~3時まで)のことで、その前日に発生した関東大震災後の大火災が原因です。この火災により、9月2日の午前1時には45.2℃(表1)に達し、その日の最高気温(表2)は46.3℃(46.4℃とする調査報告もある)まで上がったことが、当時の観測原簿に残っています。

表1:大正12年(1923年)9月の中央気象台(現:気象庁)の観測原簿(引用:中央氣象臺月報、全國氣象表)
表1:大正12年(1923年)9月の中央気象台(現:気象庁)の観測原簿(引用:中央氣象臺月報、全國氣象表)
表2:大正12年(1923年)9月の中央気象台(現:気象庁)の観測原簿(引用:中央氣象臺月報、全國氣象表)
表2:大正12年(1923年)9月の中央気象台(現:気象庁)の観測原簿(引用:中央氣象臺月報、全國氣象表)

この記録は、火災という特殊な条件下での観測のため、公式な記録としては残っていません。ただ、そんな火災の中でも「観測を絶やしてはいけない」という使命のもと、自身の命の危険が及ぶ中で観測を続けていた職員がいたことは、決して忘れてはいけない事実なのです。

いかがでしたか? 今回は、気象学の基本概念とその歴史などを紹介しました。次回は、なぜ雨は降るのか、そのメカニズムについて解説します。お楽しみに!