MaaSの背景としての日本の交通事情:MaaSの基礎知識3

MaaSの基礎知識

更新日:2022年11月9日(初回投稿)
著者:東京大学大学院 新領域創成科学研究科 特任教授 中村 文彦

前回は、ヨーロッパの都市交通の状況を紹介しました。今回は、日本の交通事情について紹介します。国内、特に地方部では、鉄道路線やバスサービスの廃止問題が議論されています。しかし、より重要なのは、地方部での高齢化と地域衰退の危機であり、鉄道やバスさえ残ればよいということではありません。それを踏まえた上で、本稿では、運輸事業経営の課題を整理します。一方で、自動車産業界ではCASEと呼ばれる大きな技術革新が起きています。自動車産業界から見た日本の交通の課題についても解説します。

1. 地方部での高齢化と地域衰退の危機

日本の人口構成の高齢化は、従前よりいわれているように、国内全体として人口構成が大きく変わっていくことが懸念されています(図1)。

図1:日本の人口年代構成の変化予測(引用:厚生労働省、令和4年度版厚生労働白書、P.6)
図1:日本の人口年代構成の変化予測(引用:厚生労働省、令和4年度版厚生労働白書、P.6

図1のグラフを読むに当たり、気を付けなければならないことが2点あります。一つは、この傾向が全国均一ではないということです。大都市部とそれ以外で異なるだけでなく、地方部でもその中核となる都市の中心部と、その外側では大きく異なります。もう一つは、高齢化の意味です。図のように人口構成が変化する一方で、いわゆる定年退職後の社会参加の形も多様化しているようです。週5日フルタイムとはいかないまでも、就労を続けている人が増え、高齢者の健康状態も多様化しています。健康な高齢者が多い反面、要介護の生活を長期間強いられている人も多くいます。

インクルーシブの視点でいえば、高齢者は可能な限り気持ちよく社会参加して、健康なまま天寿を全うすることが理想です。その実現にかかる費用が担保されることが必要といえます。一方、サステナブルの視点でいえば、年齢世代が適切に散らばり、地域が持続していくことが理想といえます。しかしながら、少なくない地域において、若い世代が定住することなく、地域がなくなっていく危機に直面しています。

交通は無関係かというと、そうではありません。高齢になると、どうしても自分で運転して出かけることが困難になり、適切な移動サービスや地域の誰かによる送迎がないと、移動の機会が減ります。それは健康の保持に悪影響を与えかねません。また、それなりの人数の利用がないと、鉄道やバスを含め、移動サービスは十分な収入を得ることができなくなります。経営が悪化し、それにより移動サービスの減便などが行われると、さらに移動の機会が減るという悪循環になります。単純にいうと、減便や値上げによって利用者が増えることはなく、鉄道やバス事業の収支状況は一時的には安定するものの、地域がより持続することにはなりません。

地域を持続させていくためには、産業や福祉の面とともに、移動についても併せて考えていく必要があります。そこで、MaaSがさまざまな産業や政策のつなぎという側面を有していることが、重要になります。

2. 運輸事業経営の課題

まず、事業者の課題について述べます。前回も少し触れたとおり、日本のいわゆる公共交通は、基本的に民間事業者による運輸事業であり、事業としての独立採算制が前提となっています。そこでは、収入の確保が極めて重要です。ただし、運賃についてはさまざまな規制があり、例えば一般の物販店のように自由には価格設定ができない場面が多くあります。従って、利用者が十分に確保できない場面では、常に経営は逼迫(ひっぱく)します。

地方部では高校生の利用や、最近では運転免許返納者割引での利用が多い事例もあります。しかし、これらの割引利用での割引分はどこからも補填(ほてん)されず、運輸事業者の自己負担となっています。さらに、鉄道の場合には、そもそも線路の敷設や撤去の手間を考えると、営業区域を頻繁に変更することはできません。バスやタクシーについても、規制は緩和されてきたとはいえ、一定の手続きが必要になります。

このような状況の中でも、運輸事業者は、多くの場合、運輸事業者の間での競争関係を意識せざるを得ないようです。具体的にいえば、利用者の少ない地方においても、鉄道事業者同士、バス事業者同士、タクシー事業者同士、あるいは鉄道とバス、バスとタクシーの間での競争や縄張り争いは少なくありません。地域の自動車利用を減らそうという場合には、「自動車vs運輸事業一同」の図式が成り立ちます。また、お出かけの推進であれば、「引きこもりvsお出かけ動機付け(=自動車、運輸事業など人を運ぶ手段一同)」の図式が成り立ちます。しかし、この「一同」の実現が、現場ではとても困難なようです。

行政側はどうかというと、国、都道府県、市町村間の壁、隣接する自治体間の壁、特に国の機関の間の壁が幾重にも存在しています。例えば、新しくバス路線を企画した場合、運輸事業としての監督官庁、道路管理者(国土交通省、都道府県庁、市役所、町村役場など)、交通管理者(警察)の許可が必要な反面、自治体の交通政策や、交通計画担当部署、環境政策担当部署、福祉政策担当部署などとの調整はなされてこなかった経緯があります。地域の運輸事業の実態や、人々の移動の実態を十分に把握できていない場面も少なからずあったようです。

MaaSが注目されるようになった背景の一つに、デジタル技術の進展やデータサイエンスの発展があります。これらは、人々の移動や移動ニーズ、運輸事業の実際を、地理情報も活用しながら可視化してくれます。その意味では、これまで全体像がよく分からず、課題もよく見えていなかった現状を変えられるという期待感があります。

MaaSによって、人々のニーズに合った移動方法の情報提供や、決済ができるようになります。しかし、そもそも、地域の移動サービスが十分にニーズと合っていない場合は、例えていうなら、レストランに入ってメニューを見ても、食べたいものが全くないというのと同様な状況が起きかねません。しかしながら、運輸事業にも課題があり、行政側の現状も厳しいため、MaaSアプリの開発だけでは解決は困難です。

地域に、オンデマンドサービスやシェアリングサービスを新規導入し、その利用情報や予約のためのアプリを用意する場合でも、地域の既存の運輸事業との調整が必須になります。地域の課題全体を目前にしながら、どの部分で協調し、もし競争するならどの部分で競争するのか、多岐にわたる関係主体間において合意が必要です。さらに、そもそも地域の課題全体を、関連する行政サイドと共有できているかも課題といえます。MaaSアプリが機能し、移動の実態や課題が、取得されたデータの分析によって可視化されれば、それを土台に、課題の共通認識を得ることもできそうです。そのためには、関係者が同じ土俵で、同じ問題意識を持つことが必要です。

3. 自動車産業の動き(CASE)

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