日本製スマートシティチームの勝ち組み例:国際的スマートシティの基礎知識5

国際的スマートシティの基礎知識

更新日:2022年10月27日(初回投稿)
著者:亜細亜大学 都市創造学部 都市創造学科 教授 岡村 久和

前回は、日本のスマートシティの強みの側面を紹介しました。これまで、国際的なスマートシティの考え方や、日本特有のプロジェクトの定義について話を進めてきました。では、国際的に、日本のスマートシティはどう見られているのでしょうか。ここで、日本国内のスマートシティプロジェクトが、海外からどう見られているかは、あまり重要ではありません。一方で、国際的な日本のスマートシティの活動には、非常に大きな意味があります。今回は、国際ビジネスや海外の国々において大きく評価され、勝ち組といわれている日本製スマートシティチームについて解説します。

1. アジア各国の発展と日本を含むヨーロッパ各国との関係

図1は、植民地視点での、アジア各国と日本を含むヨーロッパ各国との関係を示しています(第2回図2)。日本の植民地政策は、領土の拡大が目的ではありながらも、日本文化や礼儀など資産の普及も特徴の一つでした。現在でも、台湾や韓国、中国の大連など旧満州には、日本的な礼儀や、人を敬愛する精神など、よい部分が数多く残されています。

図1:日露戦争直前のアジアの植民地地図
図1:日露戦争直前のアジアの植民地地図
戦争の負の遺産に対して、正の遺産も数多くあります。現地の人々の、日本に対する思いは必ずしもネガティブではありません。人の心のつながりは、国を超えて深く温かいものです。統治した期間が長ければ長いほど、よい影響として残ることが多くあります。

日本が台湾を植民地としたのは50年間(1895~1945年)です。図1に示したヨーロッパ各国は、非常に長い期間、アジア各国を植民地としていました。例えばフィリピンは、300年以上にわたるスペイン植民地時代(1565~1898年)と、48年間のアメリカ合衆国植民地時代(1898~1946年)を経験しています。他のアジアの国々も、ヨーロッパ各国による長い占領と植民地の期間を経験しています。

インドネシアは、340年間のオランダによる統治(1602~1942年)と、日本による3年間の統治(1942~1945年)の後、独立を果たしました。日本の統治の期間については、厳しい意見も多く見受けられます。しかし、第2次世界大戦終了後、日本とインドネシアは数多くの協業を進めていくことになります。

日本にとってインドネシアは、バリ島などの観光だけではなく、インドネシア原油、住宅や発電用の木材など、大変重要な資源を有する国です。日本企業や日本政府による東南アジア地区への支援が続くにつれ、インドネシアはビジネスの面でも日本の重要なパートナーになりました。

ここで、少し視点を変えて、東南アジアにおけるシンガポールの地勢的関係を見てみましょう。シンガポールは、東南アジア各国への飛行距離が1~2時間の位置にあり、地域のビジネス基地となっています。多くの企業が、ビジネス拠点をシンガポールに作りました。また、マラッカ・シンガポール海峡は、原油の輸送ルートです。日本向けの最大備蓄量を誇るシンガポールは、インドネシアとの経済連携を生かし、石油化学を中心とした湾口産業を強化させ、多くのエネルギー備蓄基地を建設しました。

シンガポールは、イギリスのグリニッジ標準時やアメリカの標準時のほぼ真ん中にあるため、24時間の稼働が必要な金融の拠点としても発展し、IBMやGEなど多くの企業が、金融センターやデータセンターを設立してきました。シンガポールが東南アジアの経済首都機能を担うことによって、インドネシアなどの周辺各国は、それぞれ発展を遂げていきました。

2. インドネシアのスマートシティ大バトルへ

本連載の第3回で、インドネシアで展開されている双日株式会社の、デルタマスプロジェクトを取り上げました。ここでは、その背景や詳細について、ケーススタディとして説明します。

各国の発展には、それぞれ特徴がある中、インドネシアは、日本の多くの企業や政府の支援を受けてきました。そして、東南アジアの一大製造拠点となっていきました。未開発の土地が広がるインドネシアには、日本やヨーロッパ各国が、多数の巨大な製造拠点を作りました。具体的には、自動車工場や自動車部品工場が建設され、ここで東南アジア向けの自動車が製造されました。これらの自動車には、日本向けの商品もあります。しかし、大家族の多い地区に向けた乗車定員が多い車種など、主に東南アジアをターゲットにした自動車が製造されています。

ここで、インドネシアに多くの自動車工場が建設されたことは、インドネシアのスマートシティ化にどのような影響を及ぼしてきたのか考えてみましょう。インドネシアでの2021年の自動車の総生産台数は、1,121,967台です(参考:インドネシア自動車製造業者協会)。そのうち96.8%が日本車です。生産された1,121,967台のうち、26%の294,639台が輸出され、さらにその99.3%が日本車です。これは、明らかにインドネシアが日本車の生産拠点になっていることを意味します。

自動車の生産には、部品や物流など多くの関連産業が必要です。そのため、今やインドネシアは、自動車関連産業の巨大な基地となっています。裾野の広い自動車産業は、大規模にその従業員や家族を支える必要も出てきます。つまり、産業と居住が両立した「まち」が必要となります。

このような産業を背景にしたまちの必要性が、国際的スマートシティの原点であり、この産業の原動力となります。現在、インドネシアの人口は約2.7億人、首都ジャカルタの人口は約1,000万人です。日本の大規産業復興と協業により、人口はさらに増え続けています。人口は都市部のジャカルタで爆発状態になり、現在、その都市機能は破綻寸前といっても過言ではありません。大量に作られた自動車関連工場、従業員の大規模住居、公共交通の少ない地域での車やバイク中心の通勤通学路、生産材料の輸入や完成車の輸出のための港など、経済発展により都市の機能も限界を超えようとしています。

地球温暖化の観点での課題もあります。ジャカルタ市は土地の40%が海面下にあり、急激な海面上昇により広い地域が水没の危機に瀕(ひん)しています。

こうした首都破綻の可能性などから、インドネシア政府は首都移転を発表しました。ジャワ島ではなく、北に約2,000km離れたカリマンタン島東部のヌサンタラに、2024年に移転します。果たして、産業や企業はこれを受け入れることができるのでしょうか?

スマートシティは、技術を導入しながらも、まちを作る産業です。ジャカルタでは、物流、金融、従業員など、巨大自動車産業を支えるまちという産業が存在します。それがスマートシティです。これを全て捨て、首都を安易に遠隔地に移転することなどできません。では、どのような施策があるのでしょうか?

急速に進められているのが、実質首都と産業地区の東への大移転と延伸です。これが今、インドネシアのジャカルタで起きているスマートシティ大バトルです。図2に示す広い地域で大きなプロジェクトが展開され、巨大な規模のスマートシティバトルが繰り広げられています。

図2:ジャカルタから東への大開発
図2:ジャカルタから東への大開発

初めに、スマートシティを支えるインフラ機能についてのスマートシティプロジェクトを紹介します。まちづくりにおいてのインフラ整備は、特に重要な機能を果たします。ジャカルタでは大量の輸出車両を製造し、船積みする港が、既にパンクしています。港へ至る交通渋滞の問題もあります。そのため、パティンバン新港を作り、その南にはクルタジャディ国際空港も建設されました。

交通では、ジャカルタから東に真っすぐ延びたチカンペック高架高速道路が既にあります。この高速道路は、既に開通しており、東名高速道路のような造りです。ここで高架高速道路と書いたのには理由があります。今、ジャカルタからデルタマスまでの約35kmの平均所要時間は2時間と、この既存の高速道路は渋滞で使い物になっていません。そこで、発案されたプロジェクトは、高速道路を2階建てにするという大事業でした。

地図にLRTと書かれているのは、ジャカルタ中心部ドゥクアタスから南のチブブールと東のブカシを結ぶ軽量軌道交通(LRT)と、西ジャカルタのコタ駅からチカランまでを汽車ではなく電車(Kereta Rel Listrik)で結ぶKRL Commuter Lineの建設プロジェクトです。地図の右下には、ジャカルタ・バンドン高速鉄道があります。これは、インドネシアにおける新幹線のプロジェクトです。計画の早い段階から、日本がこのプロジェクトをリードしていました。しかし、最近になって、中国の車両が走ることになり、日本企業連合にとっては、非常に悔しいスマートシティの交通プロジェクトになりました。

実際に、スマートシティのバトルとは、どのようなものでしょうか? 図3は、このスマートシティ大バトルが展開されている地域の拡大地図です。チカンペック高速道路沿いには、多くのプロジェクトの記述があります。これら一つ一つが、ジャングルを開拓し、新しく作られているまちです。左下のスケールを見ると分かるとおり、これらのまちの大きさは、それぞれが山手線の内側ほどの大きさの巨大なまちです。

図3:ジャカルタ副都心の日本製スマートシティと日経企業の大活躍
図3:ジャカルタ副都心の日本製スマートシティと日経企業の大活躍

もともとジャングルだった土地に、2017年時点で、就業人口121万人のまちができました。ただし、日本のプロジェクトだけが独り勝ちしているわけではなく、中国資本のまち、韓国資本のまち、日本の製造業と居住のまち、中国製の高層マンションだけのまちなど、多岐にわたるまちづくりの大バトルが繰り広げられています。日本チームは、双日株式会社が県庁舎の誘致などを勝ち取り、地域のリーダーシップを獲得しています。

日本国内でスマートシティといえば、都市OSを入れたり、先進的な技術の実証実験を行ったりすることと思われています。一方で、既に見てきたように、世界の国際的スマートシティ市場において、大いに活躍している日本企業があります。戦後の日本の復興はアジアによい影響を及ぼし、東南アジア発展に貢献してきました。これは国や民族の文化交流、歴史的背景に基づく信頼関係がなせる業であると考えられます。もちろん、中国の目線では、中国企業が新幹線事業を日本企業からどんでん返しで獲得したことは、インドネシアに古くから進出していた中国人華僑とインドネシアとの長く深い関係が功を奏したと見ることもできるでしょう。

3. 日本を立て直したスマートシティ

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4. 日本製スマートシティの強み「日本の心」

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