実は強い日本のスマートシティビジネス:国際的スマートシティの基礎知識4

国際的スマートシティの基礎知識

更新日:2022年9月29日(初回投稿)
著者:亜細亜大学 都市創造学部 都市創造学科 教授 岡村 久和

前回は、日本における3つのスマートシティを紹介しました。今回は、日本のスマートシティの特に強みとなる側面を紹介します。これまで紹介したスマートシティの原点は、新しい考え方や技術を取り入れた都市づくりビジネスです。日本は、この分野のスマートシティにおいて、世界有数の実績と経験を誇ります。もちろん、シンガポールや上海のように、都市部を大規模にスマートシティ化した国はあります。しかし、日本は地方都市まで含め、広域に、また短時間にそれを実現しました。

1. 戦争直後から日本はスマートシティ作り

国際的スマートシティとは、以下の3つに分類されます。

  • 1:ビジネス「健全なビジネスであること」
  • 2:新技術「新しい技術が使われていること」
  • 3:まちづくり「まちを基盤に置いていること」

日本国内のスマートシティと国際的スマートシティの大きな違いは、「1:ビジネス」の有無と考えられます。日本国内の多くのスマートシティプロジェクトは「2:新技術」を企業が目指し、「3:まちづくり」を自治体が推進します。その点は国際的スマートシティのモデルと同じです。しかし「1:ビジネス」を真剣に考えません。企画当初から企業も自治体も国からの補助金を前提とし、国もこれをよかれと考え、多種類の補助金を拠出します。

スマートシティが健全なビジネスであるためには、目的や事業計画がしっかりしていなければなりません。しかし、これを補助金に委ねると、政府受けしそうな提案文を作って利益を得たり、自社の製品やサービスを盛り込むことだけを考えたりし、自治体間と首長間の名誉競争に終始するということに陥ってしまいます。つまり、ビジネスを重視していない日本のスマートシティにおいては、国に支持される計画が前提で、自社製品やサービスを売ることが企業の目的となり、また自治体やその首長はプロジェクトに選ばれることにしのぎを削るようになってしまう可能性もあるでしょう。

ここで、冷静に考えてみましょう。日本では本当に、こんなことが行われているのでしょうか?

日本と海外のスマートシティには大きな乖離(かいり)があります。日本の企業や自治体は、国の補助事業に群がっています。しかし、日本はそもそも、そういった動きをする国ではありません。今の日本におけるスマートシティは、非常に特殊です。一方で、日本には世界でも有数なスマートシティの経験と事例が存在します。

日本のスマートシティ第1期といえる時期は、太平洋戦争が終わった1945年から1964年東京オリンピックまでの期間です。そして第2期は1970年後半までの高度成長期です。この2つの期間に、日本では大規模なインフラ系スマートシティが作られています。もちろん、それらはスマートシティとは呼ばれていませんでした。

第3期とされる現在も、国際的標準のスマートシティは数多く作られ続けています。ただし、それらは前述の国内版スマートシティとは一線を画して進められています。

スマートシティは一つの産業群です。その副産業には、交通、道路、通信などのインフラ事業が含まれます(図1)。

図1:スマートシティの産業区分
図1:スマートシティの産業区分

日本の戦後復興を担ったスマートシティ第1期では、インフラ系スマートシティ開発が日本中で起こりました。通信、高速道路、東京の職住分離設計、駅前再開発の4つ事例を紹介します。

・通信

現在、携帯電話や5Gなど、通信技術は目覚ましく進歩しています。同様に、戦後の復興期における大きなビジネスは電話でした。当時、遠隔通信手段はほとんどなく、日本のスマートシティ第1期において、副産業の通信事業で大規模に進められたのが電話の普及です。電話の加入権利ビジネスは健全なビジネスとして、日本電信電話公社により推進されました。それまでになかった通信技術を整えるために、大量の金属線を猛烈なスピードで、日本中の地中に埋めるという土木技術に取り組みました。その電話工事を行う技術者や、自動交換機導入まで活躍した電話交換手の人材教育が行われ、電話産業は発展していきました。戦後の電話は、まさに通信のスマートシティ副産業として誇るべき事例といえます。

現在も、新興国や発展途上国は、この日本の技術移転を受け、自国での開発を進めています。携帯電話は、そのほとんどが地中埋設の有線を使って通信が行われ、日本のこの技術は現在も世界に大きく寄与しています。

・高速道路

戦後の日本全体のスマートシティ化に欠かせない副産業が、高速道路です。ほとんどが有料である高速道路は、ビジネスが前提です。最新の土木建設、通信、防災の技術を有し、都市を結ぶ高速道路には、「1:ビジネス」、「2:新技術」、「3:まちづくり」の要素が存在します。

戦後の混乱が続いている中の1959年5月26日、西ドイツ(当時)のミュンヘンで行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会において、5年後の1964年、第18回オリンピック開催地は東京に決定されました。戦争が終わって14年後のことです。その1か月後の1959年6月17日、首都高速道路公団が誕生しました。そして、その5年後、首都高速道路が完成しました。たった5年間で、既存の土地の買い上げや立ち退き交渉を含め、首都に高速道路を作ることなど、今では考えられません。2011年に見舞われた東日本大震災の高速道路の復旧では、どれだけの時間がかかったことでしょう。

現在、日本各地で十数年もの長期にわたり建設中の高速道路が多いことからも、このスマートシティ大事業の実行力の高さが理解できます。この事業の核となる技術は、不動産、土木、建築、通信など多岐にわたります。これらは現在、東南アジアをはじめとする多くの国々で行われている日本製スマートシティ開発のビジネスの中心になっています。

・東京の職住分離設計

東京の職住分離とは、東京の中心に大規模な職場エリアを作り、1時間半以上をかけ、居住地域から通勤するというモデルです。東京都のまちづくり基本計画は、戦前からあった考えと、大きく変わっていません。1946年3月に立案された東京戦災復興都市計画では、都市部中央から40〜50km圏に横須賀、平塚、厚木、町田、八王子、立川、川越、大宮、春日部、千葉など、人口約10万人の衛星都市、さらに外郭都市として人口約20万人の水戸、宇都宮、前橋、高崎、甲府、沼津、小田原などを想定し、これらで400万人の人口を収容し、東京区部の人口を350万に抑えようというものでした。

この計画モデルは日本発信で多くの国で参考にされ、日本とよく似た都市計画が数多く進められてきました。人の移動を前提とした移動型スマートシティです。大規模事業として、鉄道、道路、通信、商業など、数え切れない新技術が取り入れられています。現在、世界中で進められているコンパクトシティや、地域分散エネルギー、テレワークの動きとは異なる考え方です。

ここでいう職場を丸の内地区とすると、通勤時間1時間半を目途に多くの居住地域が作られたことになります。多摩ニュータウンや、湖まで作ってしまった越谷レイクタウンなど、URやゼネコン各社が進めてきたスマートシティインフラ副産業のノウハウと実績もまた、日本のスマートシティの誇りと考えられます。

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2. 日本の強み、団体戦

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3. 巨大シティから地方都市まで健全なビジネスの考え方

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