20世紀型病院建築までに至る変遷:病院建築の基礎知識6

病院建築の基礎知識

更新日:2022年12月15日
著者:東京大学名誉教授 工学院大学名誉教授 一般財団法人ハピネス財団理事長 長澤 泰

前回は、病院全体のライフサイクルと経営管理について解説しました。これまでの連載では、現代の病院建築の基本的な考え方を紹介してきました。今回からの2回は、Covid-19蔓延(まんえん)への対応を含めて、今後の病院建築の進路について考えます。今回は、まず、20世紀後半までの病院の歴史を振り返りましょう。

1. 癒やしの場から隔離、そして治療の場へ

病院の歴史を振り返ると、古代から20世紀に至るまでに、5つの波が見られ、6つ目の波は21世紀からとされています(参照:Verderber S, David JF. Healthcare Architecture in an Era of Radical Transformation. New Haven, CT: Yale University Press; 2000, P.129)。今回は、このうち5つの波について解説し、6つ目の波については次回紹介します。

第1の波は古代ギリシャ時代で、代表的な事例がペルガモンのアスクレピオス神殿です。神殿内には、ラジウム泉の浴室がありました。当時の患者は、家族と一緒に訪れて温泉に入り、身体を動かし、さらに隣接した屋外劇場でギリシャ悲喜劇を観賞することで体や心を癒やし、病気を治しました。

第2波は、キリスト教が支配する中世ヨーロッパです。肉体よりも精神を重んじた時代で、修道院付属の施療院という療養施設ができました。当時の絵画で施療院を見ると、大部屋の正面には祭壇があり、両側に厚いキュービクルカーテンで仕切られたベッドが並んでいます。患者は毎日ミサを受け、修道女の手厚い看護を得ていたようです。その頃の日本では、仏教寺院の境内に建てられた悲田院・施薬院などが、病院の代わりをしていました。

第3の波ルネサンス期の説明をする前に、パンデミック(伝染病の世界規模の蔓延)の歴史を見てみましょう(図1)。現代のCovid-19以前に3回の記録があります。

図1:パンデミックの歴史(参考1:渋谷明隆(北里大学)、ペスト菌発見と感染予防から見た病院の水回り、病院設備Vol.62、No.4、日本医療福祉設備協会、2020年、P.7-10)(参考2:坂井建雄(順天堂大学)、医学の歴史、第14章 伝染病克服への道のり、医学書院、2019年、P.648)
図1:パンデミックの歴史(参考1:渋谷明隆(北里大学)、ペスト菌発見と感染予防から見た病院の水回り、病院設備Vol.62、No.4、日本医療福祉設備協会、2020年、P.7-10)(参考2:坂井建雄(順天堂大学)、医学の歴史、第14章 伝染病克服への道のり、医学書院、2019年、P.648)

ルネサンス期は、このうち第2期に該当します。14世紀初頭にヨーロッパで流行したペストは黒死病として有名です。その時には、ラザレットという施設が作られました(参考:Thompson JD, Goldin G., The Hospital:A Social and Architectural History, 1975)。もともとはハンセン病患者を収容していたこの施設は、ペストの流行を受けて中庭に300ほどの掘っ立て小屋を建て、1つの小屋に40人の患者を詰め込んでいました。1か所に1万人を超える患者が収容されていたということになります。このような状況ならば、1度入ったら出て来られなかったでしょう。これが、ルネサンス期の隔離病院の典型で、他にも宮殿や刑務所が転用されました。疫病の患者を収容して外部との交流を遮断し、感染していない社会を守るために、結果として感染症患者を見捨てたことになります。治療法のない当時は、それしか方法がありませんでした。

19世紀になると、フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820-1910)の登場により、病院改革が行われます。これが第4の波、ナイチンゲールによる改革です。彼女はクリミア戦争に従軍して、トルコのスクタリで兵舎を改造した野戦病院の管理を任されました。多くの傷病兵が亡くなっていく中、死亡の原因は戦傷ではなく、収容されている病棟の不衛生な環境であることに気付きました。つまり、病棟の衛生管理を徹底すれば、負傷者は助かるということです。

彼女は、「看護覚え書」、「病院覚え書」をはじめ、多くの著作を残しました。病院覚え書の冒頭には「病院建築の第1の条件は、患者に害を与えないことである」とあります。これは、当然のことのようでありながら、筆者たちが建設している病院は本当に患者に害を与えていないのかという、重い問いかけだと思っています。さらに、「よい病棟とは、外観が見事なことではなく、患者に常時新鮮な空気と陽光、適切な室温を供給できるものである」とも語っています。ナイチンゲールは、病院の基本的な定義をした最初の人で、彼女の指導の下に病院が各地に建てられました。図23にナイチンゲール病棟の原則を示します。

図2:ナイチンゲール病棟の原則(写真:筆者撮影、図面:筆者作成)
図2:ナイチンゲール病棟の原則(写真:筆者撮影、図面:筆者作成)
図3:ナイチンゲール病棟のベッド間隔と自然換気用の縦長窓(写真:筆者撮影)
図3:ナイチンゲール病棟のベッド間隔と自然換気用の縦長窓(写真:筆者撮影)

病棟ではベッドの間隔1.5mを確保し、天井を5m程の高さにして、1ベッド当たり40m3の新鮮な空気を確保します。そのために、病室には縦長の窓を付けました。窓を開けると下の方から外の新鮮な空気が入り、室内の暖かく汚れた空気が上から出ていきます。機械換気がない時代であるため、空気の入れ替えは自然換気です。感染の専門家によれば、これだけベッドの間隔を離すと、隣の患者が咳(せき)をしても病原菌などは届きません。こういったことを、ナイチンゲールは経験上知っていたのでしょう。それまでは、病院に入院しても退院できないと思われていたのが、看護観察を重視して療養環境をよくすれば、病気が治るということを世の中の人々は知ることとなりました。

当時の大英帝国は、世界の隅々まで勢力を伸ばしていたために、ナイチンゲール病棟は南北戦争当時のアメリカや植民地であったインドをはじめ、東南アジアにも伝わりました。そして、19世紀における病院建築の典型となりました。ナイチンゲール病棟については、次を参照して下さい(参照1:長澤泰、建築家が読む『病院覚え書』)、(参照2:長澤泰、西村かおる、芳賀佐和子、辻野純徳、尹世遠、日本看護協会出版社、ナイチンゲール病棟はなぜ日本で流行らなかったのか、2017)。

図4は、ナイチンゲールの直接監修のもとに1864年に建てられたハーバート病院です。中央廊下を挟んで両側、あるいは片側に独立棟を持つ典型的なパビリオン型建築です。隣棟間隔は建物高さの2倍以上となり、150年以上たった現在も、グリニッジ天文台の少し先にあるウールリッチという街に、集合住宅として残っています。

図4:ハーバート病院のナイチンゲール病棟、ロンドン(写真:筆者撮影)
図4:ハーバート病院のナイチンゲール病棟、ロンドン(写真:筆者撮影)

さて、同じ頃の日本はどんな状況だったのでしょうか。まず、「病院」という名前の語源を紹介します(参照:尹世遠、近代日本病院建築における形式的基準に関する研究、東京大学学位論文)。

病院という言葉は、森島中良(1756?~1810)が、「紅毛雑話」に次のように記しています。

「ヨーロッパにガストホイスと言う府あり。明人、病院と訳す・・・医師・看護人・臥具・病架にいたるまで、備え置いて欠くことなし」

また、福沢諭吉(1835~1901)は、「西洋事情」の中でこう記しています。

「病院は文明の政治の大事な要素で、貧しい人のために設けるもの」

日本で患者を診る場所としては、1722年に町医者の小川笙船(しょうせん)の上書によって、徳川吉宗が小石川薬園内に窮民療養施設として設置した小石川療養所があります。また、江戸末期には、ポンペ(海軍伝習所医官)によって、本格的西洋医学の伝授の場として長崎療養所(1861年)が建設されました。

感染症については、明治初期にはコレラ(急性感染症)や結核(慢性感染症)が流行しました。1879年(明治12年)には、コレラ患者が162,000人発生し、死亡率は65%でした。虎列刺(コレラ)や虎狼痢(コロリ)と表記され、発病してから3日で死亡するため、三日ころりとも呼ばれていました。そこで、明治政府は患者を隔離するため避病院を建て始めました。その敷地は、人家隔絶の地において簡易な構造にすることとされ、さらに家族の面会も許可されず、看病人も外出禁止になりました。このように有効な治療法もなく、家族との面会も許さず、ただ隔離するのみだったために避病院は評判が悪く、入院してもほとんどの患者は助かりませんでした。

ドイツから派遣され、東京大学病院の内科で教鞭を執ったベルツの日記(1892年/明治25年)によれば、「ひどい!馬ぐらの方がまし」と記されています。また、岡山では「感染して一家全滅した方がまだよい」ということで、1877年(明治10年)にはコレラ一揆が発生しました。一般病院ができた後も、伝染病患者は避病院への隔離が義務づけられました。しかし、1901年(明治34年)に建設された東京市立駒込病院は堅牢宏壮(けんろうこうそう)で、駒込御殿と呼ばれるほどになりました。

2. 医学と建築技術の発展による20世紀型病院の追求

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