都市計画の歴史(前編)ヨーロッパ先進国やアメリカでの源流:都市計画学の基礎知識2

都市計画学の基礎知識

更新日:2022年3月2日(初回投稿)
著者:東京大学 大学院 工学系研究科 准教授 中島 直人

前回は、都市計画とは何かについて、その概論を解説しました。まず、現代の都市計画の解説に入る前に、都市計画の歴史について、振り返っておくことにしましょう。今回は、ヨーロッパ先進国やアメリカでの都市計画の源流について説明します。

1. 都市計画の源流

社会技術としての都市計画が日本で誕生したのは、1919年に都市計画法が制定された時点だと考えられます。この大正時代の中頃には、東京をはじめとする大都市への人口集中が始まっていました。世界を見渡すと、日本よりも先に産業革命を経験し工業化が進んでいたヨーロッパ諸国やアメリカでは、19世紀の半ば頃より、さまざまな形式で都市環境の改善への試みが始まっています。イギリスではtown planning、フランスではurbanisme、ドイツではStädtebau、アメリカではcity planningと、各国で都市計画を指す言葉が生まれ、法制度も整えられました。日本の都市計画という言葉は、これらの国々の言葉における翻訳語として、大正半ばに登場したものでした。

都市計画の歴史について振り返る際、社会技術としての都市計画を構成する実現手段と、その実現手段が対象としたエリアという2軸で整理を行うと分かりやすくなります。実現手段は「事業か規制」か、対象エリアは「既成市街地か新規開発地」かです。当時の都市への人口集中の動向は、既成市街地の改造から新規開発地の造成へと向かう、都市の拡張が基調としてありました。つまり、都市を囲んでいた城壁が取り払われ、都市が広がっていったのです。

ヨーロッパ諸国やアメリカにおいても、都市計画が初めから体系的な技術として誕生したわけではありません。各国、各都市での都市問題へのさまざまな対処手法が、国際交流を通じて次第に伝播(でんぱ)し合い、都市計画の体系が形作られていったのが実際のところです。19世紀半ば以降のヨーロッパ諸国やアメリカにおける都市計画の源流については、都市計画史家の越澤明が、以下の7項目に整理しています。

  • 源流1:パリ、ウィーン、ブリュッセルなどに代表される大規模な都市の改造
  • 源流2:イギリスにおける公衆衛生の改善と労働者住宅の建設
  • 源流3:イギリス、ドイツの開明的資本家による工場付属住宅地の建設
  • 源流4:ドイツの建築線、区画整理による郊外地の計画的な開発
  • 源流5:アメリカにおける公園緑地系統と緑豊かな郊外住宅地
  • 源流6:アメリカにおける用途地域(ゾーニング)の制度化と発展
  • 源流7:アジア・太平洋地域での植民都市の建設と土地経営

そして、源流7を除く1~6が、ヨーロッパ、アメリカの都市問題への対処として生み出された手法でした。以下、6つの源流について、簡単な解説を加えていきましょう。

源流1:パリ、ウィーン、ブリュッセルなどに代表される大規模な
都市の改造

源流1の代表例は、ナポレオン三世の第二帝政期、セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンによるパリの大改造(1853~1870年)でしょう。19世紀に入ってから最初の50年で人口倍増を経験していたパリでは、中世以来の市街地の過密化対策が急務でした。そこで、新たに都市内幹線道路を建設するとともに、公園や墓地を新設し、上下水道を整備しました。さらに、幹線道路の突き当たりにはオペラ座のようなアイストップ(人の注意を引く為に意図的に置かれた建築物やオブジェなどのこと)となる施設を配置し、沿道には壮麗なアパートメントを建設しました(図1)。公共の積極的介入、つまり公共事業によって既存市街地の近代化を図っていきました。

図1:オスマンによるパリ大改造の成果の例。オペラ通り。通りの幅員が大胆に広げられ、沿道にはアパートメントが建てられた。

図1:オスマンによるパリ大改造の成果の例。オペラ通り。通りの幅員が大胆に広げられ、沿道にはアパートメントが建てられた。(引用:ウィキペディア

源流2:イギリスにおける公衆衛生の改善と労働者住宅の建設

源流2は、産業革命先進地イギリスでの取り組みで、1848年の公衆衛生法の制定を端緒としました。労働者の居住環境の質を確保し、公衆衛生の向上を図るとともに、伝染病のまん延を防ぐ目的で排水、上水、道路舗装、清掃などの規則を定めました。後に、建物単体に加えて、建物同士の間隔に関する規定などを含んだ建築条例も制定されるようになりました。このような規則は既成市街地のみならず、新規開発地にも適用されました。

源流3:イギリス、ドイツの開明的資本家による工場付属住宅地の建設

源流3と、次に説明する源流4は、ともに都市が拡張していく先の、郊外での事業的な実現手法でした。源流3は、19世紀の半ば以降、開明的な資本家たちが自ら経営する工場に隣接するかたちで、水準の高い労働者住宅地を建設し始めました。イギリスの社会主義者ロバート・オウエンによって経営された、ニュー・ラナーク(スコットランド・サウス・ラナークシャー)の紡績工場は、世界遺産として残されています(図2)。

図2:ニュー・ラナーク(スコットランド・サウス・ラナークシャー)綿紡績工場や工場労働者用の住宅跡

図2:ニュー・ラナーク(スコットランド・サウス・ラナークシャー)綿紡績工場や工場労働者用の住宅跡

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2. 源流から体系へ

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