化学工業は18世紀後半、産業革命と共に始まりました。この時代から現在までを大きく3期に分け、化学工業がどのように発展してきたのか解説します。前回は、第1期、近代化学工業の基盤成立の時代(18世紀後半から19世紀末までの150年間)を解説しました。
第2期は、化学産業の自立と高度成長の時代です。20世紀初頭、アンモニア合成の工業化に成功し、化学技術は飛躍的に発展しました。また合成樹脂や合成繊維などの高分子化合物の発見、石油化学の興隆により、第二次世界大戦後、化学工業は高度成長を遂げます。
世界中に化学工業製品が普及し、化学企業は必然的に拡大路線を選びました。その流れはオイルショックにより終わりを告げられるまで、約70年間続きました。今回は、第2期の前半です。化学技術発展の起点となったアンモニア合成の工業化と、化学企業が巨大化する軌跡をたどります。
1. アンモニア合成の工業化
産業革命以降、世界の人口は急速に増え続け、食糧の効率的な生産が課題となりました。特に農産物の分野では、窒素肥料の大量生産が急がれました。人工的に窒素肥料を生産するには空気中の窒素固定を行う必要があります。それまで、火花放電や石灰窒素法が試みられてきましたが、いずれも大量の電力を必要としました。1909年、カールスルーエ工科大学のハーバー(Fritz Haber)は、電力をあまり使わずに、空気中の窒素N2と水素H2からアンモニアNH3を直接合成する方法を発明しました。
当時ハーバーは、水素H2と窒素N2、アンモニアNH3の、常圧下での平衡関係の測定実験を行っていました。そこへ理論化学の権威ネルンスト(Walther Hermann Nernst)がアドバイスを与え、高圧下での実験を行うようになりました。
その結果、圧力200~300気圧、温度400~600℃の条件下で、オスミウムOs触媒上に窒素N2と水素H2の混合ガスを通すことで、ガスの10~20%がアンモニアNH3に転換されることを発見しました。さらに生成プロセスにも注目し、生成したアンモニアNH3を高圧のまま冷却・液化によって分離すること、未反応の水素H2ガスと窒素N2ガスは触媒反応層にリサイクルすることも提案しました。
このアンモニア合成の工業化を担うことになったのは、ドイツの化学企業BASFでした。この仕事の全権は、技術者であったボッシュ(Carl Bosch)に委ねられました。これまでにない高温高圧下のガス流通反応を前に、解決しなければならない課題が数多くありました。代表的なものに、「効率的な触媒の探索」と、「高温高圧下での使用に耐える反応管の開発」がありました。それぞれ詳しく解説しましょう。
効率的な触媒の探索
前述の通り、窒素N2と水素H2からアンモニアNH3を得る反応は、平衡反応です。所定の温度、圧力の中に長時間放置しておけば平衡組成のアンモニアNH3を得ることはできますが、時間がかかり、現実的ではありません。そこで触媒を使って反応速度を速める必要があります。ハーバーはオスミウムOs触媒を使用しました。
しかし、工業化には、さらに高性能で安価な触媒を必要としました。この触媒の探索は、ミタッシュ(Alwin Mittasch)が担当しました。ミタッシュは考えられる金属化合物とそれらの混合物を広汎に試験しました。その結果ついに、鉄FeにアルミナAl2O3と酸化カリウムK2Oを混合して得られる酸化物を水素H2で還元することで、目的にかなった触媒が得られることを見いだしました。
高温高圧下での使用に耐える反応管の開発
鋼鉄製の反応管に触媒を充填してアンモニア合成のテストを行ったところ、3日間の連続運転で破裂してしまいました。大学で冶金学を学んだボッシュは自ら解決に乗り出し、高温高圧下では水素H2が反応管の鉄Feの中に侵入し、炭素Cと反応してメタンCH4が生成されることを突き止めました。
脱炭素作用によって鋳鉄製の反応管がもろくなり、圧力に耐えられなくなったのです。そこで炭素Cを微量しか含まない軟鉄を反応管の内側(水素H2と接触する部分)の材料に採用し、外側を普通鋼とすることで、高い圧力にも耐える構造の反応管が完成しました。
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2. 化学企業のコングロマリット化
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