メタボロームの全て:バイオインフォマティクスの基礎知識5

バイオインフォマティクスの基礎知識

更新日:2022年11月11日(初回投稿)
著者:中央大学 理工学部 物理学科 教授 田口 善弘

前回は、セントラルドグマ内でデジタルとアナログをつなぐ役割を持つタンパク質について解説しました。今回は、メタボロームを取り上げ、人体の代謝の仕組みと、バイオインフォマティクスとの関係を紹介します。

1. 代謝物とは

代謝とは、生命を維持するために生体内で化合物を合成することであり、生命体外部から取り入れた無機物や有機物を使って、酵素などによる化学反応により、生命維持に必要な化合物に変換していく一連の反応をいいます。代謝によって生成される化合物を代謝物といい、その代謝物の総体をメタボロームと呼びます(図1)。

図1:ゲノムの下流に位置するメタボローム
図1:ゲノムの下流に位置するメタボローム

前回までの解説は、DNA→RNA→タンパク質という、セントラルドグマの内部の話でした。DNAやRNA、タンパク質は、全て生命体が作り出すものであり、基本的に生命体の内部でしか機能できません(例外として、触媒のようなごく一部のタンパク質は生命体の外部でも機能します)。

しかし、生命体が利用するのは自らが作り出せるものだけではなく、体外の物質も活用します。必須アミノ酸、あるいはビタミン不足という言葉を聞いたことがあると思います。タンパク質をつくる元となる20種類のアミノ酸の中には、人体では合成できないものがあり、これは食物として摂取するしかありません。ビタミンにも、体内で作れないものがあります。このように、タンパク質やDNA、RNA以外で、生命体の化学反応に関与している物質が代謝物です。セントラルドグマの外に存在するものでありながら、生命体にとっては重要な物質です。この代謝物についても、バイオインフォマティクスの手が届くようになってきました。

2. がんと回虫の意外な関係

代謝物の研究で、どんなことが分かってきたのか。その一例としてよく知られているのが、がんと回虫(寄生虫)の意外な関係です。がんは、体内の遺伝子の変異により、異常な細胞増殖が原因で発生します。その意味では、がんは、異物でありながらも、所詮、体内の臓器からの発生に過ぎないため、正常な細胞の増殖に利用する化学反応を援用することしかできません。ただ、援用するといっても、生命体内部の化学反応にはもともと可塑性があります。

例えば、エネルギーをつくり出すプロセスだけを考えても、酸素を使う場合と使わない場合があります。酸素を使うプロセスは、エネルギー効率は悪いものの長時間の稼働が可能なため、ジョギングのような軽い運動を長く行う場合に利用されます。一方、酸素を使わない場合は、エネルギー効率がよいものの長時間は持続できないため、ダッシュなど短距離のような激しい運動に使われます。

興味深いことに、化学反応でできている代謝物を1種類ではなく多種類、定量的に計測することができれば、「ある特定の比率で代謝物が発生するためには、どのような化学反応が体内で選択されているか」を、バイオインフォマティクスの技術で推定することができます。つまり、代謝物量の網羅的な解析が可能ならば、ジョギングしているのか、ダッシュしているのかを推定することが可能になります。

前述したように、がんは異常な増殖を行うので、通常細胞と異なった代謝経路を使っている可能性があります。もし、その経路が同定できれば、正常細胞の代謝経路には影響を与えず、がん細胞の増殖だけを阻害する治療法が確立できるかもしれません(図2)。

図2:地下鉄路線図のような人体の主要な代謝経路
図2:地下鉄路線図のような人体の主要な代謝経路

がんの代謝経路の特徴として、酸素を使わないエネルギー生成を好むというものがあります。この理由として、がん細胞は異常な増殖を行うため、通常の臓器であれば縦横に張り巡らされるはずの血管が、往々にして十分に張り巡らされず、酸素の活用を抑えたいという動機が働くこと、あるいは、酸素を使わない方がより多くの副産物をつくることができ、それが細胞増殖の材料に活用できることなどがあります。

あるがんの代謝機能を代謝物の量から調べてみると、面白いことに、それが回虫の生態とよく似ていることが分かりました。回虫は人間の腸などに寄生し、酸素がない腸の中で、無酸素でのエネルギー形成経路を使って生息します。かつての日本では、回虫を駆除するための飲み薬が処方されていました。この薬を飲むと、回虫が利用している無酸素のエネルギー形成経路が阻害されるため、腸内で生きられなくなった回虫が肛門を通って体外に出てきます。そこで、この発見をした科学者が、この駆除薬の有効成分をがんの治療に使ってみたところ、見事に効果があることが分かったのです。回虫と違い動くことのできないがん細胞は、無酸素での代謝経路を使えなくなって死滅したと思われます。このような回虫とがんの関係などは、代謝物の量から代謝経路を推定できるバイオインフォマティクスの技術なしには発見できませんでした。これはある意味、バイオインフォマティクスを用いた新たな治療法(可能性)の発見事例といっていいでしょう。

3. バイオマーカー

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